「音楽」という言葉が「音を楽しむ」から来たというのは誤解です。
音楽の「楽」は木の実(一説に団栗)を付けた打楽器の象形文字で、楽しいという意味は音楽という熟語の成立より後に発生したそうです。ちなみに「音」は声、つまり歌のことですね。すなわち「音楽」はシンプルに「歌と楽器」のことを表しています。
ですので「楽器」という言葉も「楽しい器」であるより先に、ただ本当に「楽器」だったわけです。
しかし、音楽という言葉のできた古代中国で、感覚として儀式的音楽の神聖さの向こうに恍惚的な楽しさが有っただろう事、そのために「楽」の字に楽しいという意味が与えられただろう事は想像に難くありません。
私が神聖さ = 恍惚 = 楽しさという図式で思い浮かぶのは、ハワイの音楽です。
ハワイ音楽はもともとチャントという祈りの言葉と踊り(フラ)、石や木の実、竹、サメの皮などで作られた打楽器で行われた儀式音楽が元になっていると言われています。それから紆余曲折あって19世紀初頭にギターが、同世紀後半にウクレレが西欧から伝えられるわけですが、いつもそこには(濃淡はあれど)神聖さと楽しさが波のように重なった音楽の魅力があったのだろうと思いを馳せてしまいます。
日本のウクレレビルダーの第一人者である志茂さんのウクレレの存在感には、そんなハワイ音楽の持つ、透き通っていながらも血の通った空気が宿っています。
「楽器」から「楽しさという抒情」に変化した「楽」という字のように、シモレレには人の心に楽しさのビックウェーブを立たせる魅力や工夫が詰まっています。
ぜひ皆様もシモレレのサウンドホールの中を覗いてみて下さい。そこには一本一本異なる土地の絵が可愛らしいタッチで描かれています。ワクワクするような楽しい器が、そこにはあるのです。